2008.07.15 Tuesday
7/15
ロスアンゼルス、写真展 出展
「 VICE 」 というファッション系のフリーペーパーがあって、その雑誌が企画した、「VICE 2008 フォトショー」なる企画展が、ロスアンゼルスで、7月13日から2週間程、開催されている。正直内容については、自分の展示作品以外、どうなっているのかはわからない。海外の写真家達と、日本から、自分を含めた3人が、作品を出展している。というくらい。なぜ、出展したかと言えば、送られて来たその「VICE」という雑誌が、面白いと思ったからだった。制作時間がかなり少なく、おまけに、写真の内容に関する制約があった為、一瞬出展を見合わせるか、考えてしまったが、最終的には、これならばという、形が自分の中から出て来たので出展にこぎ着ける事が出来たのだった。どういった写真だったかは、言葉で説明するとよくないので、ここでは書かないが、きっと「VICE」関係の何かの形で展示の模様は伝えられる事だろう。今回現地に行けなかったのは、自分一人で、日本から参加した他のお二方は、ロスアンゼルスまで行った模様である。今、自分の写真がアメリカで展示されていて、しかも、自分で展示をしたわけではなく編集部の方にこちらで書きなぐった、展示計画見取り図詳細を、お渡しして、現地で展示してもらったので、実感が無いというか、腹の座りが悪いというか、行けなかった自分が悪いのであるが、妙な気分である。海外での写真の展示は初めてなのだ。だから、現地の人達がどういった反応を示してくれているのか、それは気になる。もしこれを読んでいる、ロスアンゼルスにいる人、もう残りわずかな会期だけど、現地リポートを、このページに送ってくれたら、嬉しいんだけど。。ここ数年で夏が嫌いではなくなったが、今年は、仙人草なる、扁桃腺が腫れなくなるという木曽地方に昔から伝わる民間療法をネットで調べて、試してみるなど、なんとか今年の夏も、乗り切っていければなと、おもっている。夏は暑いんだから。
2008.06.27 Friday
6/27
23日朝から26日朝まで続いた昼夜連続の撮影が終った。丸三日間の睡眠時間は4時間だった。後は撮影と撮影の合間の移動で目を閉じていた、ときおり、遠くを見つめていたりもした。今から8年程前に、映画の撮影をやった事があり、25日間中1〜2日の撮休をはさんで早朝から深夜まで毎日撮影をしたのだった。しかし、それはあくまで、普通の生活時間帯に体が動いているので、夜は少ない時間だが寝る事が出来たので、一定のリズムの中で進む事が出来たのだが、今回は3日間という短期間だが、夜から朝までの撮影と、朝から夜までの、それぞれ別件の撮影が3日間に奇跡的な時間のはまり具合を見せて、時間的、物理的には撮影を可能にしてしまったのだ。あとは、己の体調管理にかかって来るだけなのだが、この、68時間の中には一定のリズムが無く睡眠するのが難しかった。しかし、68時間中の4時間という睡眠は偉大で、そのおかげで、気が狂う事もなく、ボロボロになる事もなく、自分自身少し楽しみにしていた、3日めの朝の心身の状態は正直、まだいけるなあ。という感じだった。でも、逆に、もうダメだという時は、死んでいるか、入院しているか、気絶しているか、そんな所な訳で、もちろん、そんなになる筈もなく、体的には、イケテしまった。それにしても、撮り続けた。これが撮影とは違う内容の作業や、仕事だったら、こんな朝は迎えられなかったような気がする。撮影は、偉大なり、精神は偉大なり。なんとしても68時間撮影の終了後はビールを一杯飲みたいと思っていて、帰宅の道すがら店を探したのだが、朝の五六時、世田谷村の自宅に近づくにつれて、やっている店などなく、環八沿いのほとんど人のいないデニーズに入り、ビールを飲む。味は、そんなにうまくはなかったが、二杯飲んだ。ただ、ビールというものを口にしたかっただけなんだろう。同じ店内のガラスで仕切られた向こう側の喫煙席のカップル、楽しそうに何かを話していた、こんな早朝にデニーズで何を話しているんだろうな、などボーットしながら、担々麺と、トンカツと、豚の生姜焼きを食べた。外の環八はトラックで渋滞を始めていた。深夜の新宿で撮影をして、そのまま吉祥寺に移動して撮影を開始してしばらくした頃、撮影現場で交通整理をしてくれているガードマンの一人の人が、「きのうの夜、新宿で撮影してましたよね、ぼく現場にいました。」とニッコリ声をかけてくれた。こんな偶然もあるんだなと、びっくりした。ガードマン氏も寝ていないんだなと思い、力が湧いた。と同時にガードマン氏はどんな生活をしているのか急に興味も湧いたのだった、ガードマン氏も同じ思いだったのかもしれない。短期集中で沢山の人に会った、お互いまったく違う人生なのだが、すべては、それぞれが生きて行くための事なんだなと思った。けして楽な状態ではなかったが、細胞はしっかり燃えていたと思う。
2008.06.10 Tuesday
6/10
このまえ、首つり死体を発見した。俺が第一発見者だ。もうすぐ午前中の10時になろうかという人もまばらに居る麻布の公園で、撮影のロケハンをしているときだった、ブランコに座って公園内の植木に目を巡らせていた、自分の左手にあるベンチの後ろに植わっている高さ150センチ程の植木の上から人の顔がひょっこり出て、小首をかしげた様にこっちを向いている、その顔の上の方に1本の縄がのびている、男性が木に首を吊って、亡くなっていた。すぐに警察に通報した、その人は亡くなってから時間が少し経っているようだった、すでに亡くなっておられているからだろうか、死に直面したときの痺れるような切迫感や危機感のようなものはなく、死してなお、その命の存在感は強さを増しているようだった。しかし、公園内には何人か他にも何気なくベンチに腰掛けてタバコなど吸う人達の姿が見えたが、その時間帯までまったく誰にも気付かれていなかったのだ。自分にとって、予期せぬ、避けようのない、対面だった。彼は生きていた、そして、そこで亡くなった、ある一人の人の生きた結果がそこにあった。不謹慎であることを承知で言えば、これは自分にとって一つの、出会いになってしまった、それは自分が写真家だから、目を背ける事、ましてはシャッターを切らずにその場を立ち去る事は、すでに絶対に有り得ない事だった。自分がその場で出来る事は、写真を撮る事以外に何も無かった。自分が人間である事と、自分がふれあってゆく人間と言う生き物達との、これから、自分が死ぬまで続いてゆく道のりや時間の中で、生や死に等しく流れていく時間の中の一つの出来事と感じた。人の死を軽んじているのでは決してない。自分はどうしても、生と、死は、同等である、と思えてならない。死だけが特別であり、生だけが特別であるとは、思えない。そして、自分は、人を撮るのだと思う。命とは、生と死の間を行き来しているもの。命の動く両端に、生と死がある。死だけが恐怖や絶望ではなく、生だけが希望や、喜びに溢れている、というモノでもなく、全ては時間の中で、淡々と続いていく一連の流れの中の一つの動きでしかない。後はそれぞれの人生のどのタイミングでそれらがやってくるのかと言う事。お茶を飲んでいるか、死んでいるか。しかし、我々に備わっているそれぞれの、感情、という不思議な性能が、それぞれの人生の音を鳴り響かせている。
2008.06.01 Sunday
6/1
荒木さん
荒木さんの誕生会に、行って来た。パーティ途中で写真を撮り始めた荒木さんの首筋は恐竜のようだった、荒木さんが生まれていなければ、自分は写真をやっていなかった。そう思うと、自分の人生の土台を作ってもらった荒木さんに、手を合わせて拝みたくなるような気持ちにさえなる。この気持ちは一生変わる事はないだろう。荒木さんに対して、好きとか尊敬してるとか、もうそう言ったレベルではないのだ。荒木さんご本人に招待してもらったとはいえ、「お誕生日おめでとうございます、」の一言をご本人に伝えに近寄っていく事さえ、今だに、小生ごときがと、おこがましく思え、ためらわれるしだいだ。一緒に行った佐内さんに、引っ張っていってもらって、ここ3年めにしてようやく、言葉らしきものを頂いた。こちらを見て「大橋、おまえ最近、温和になってんじゃねえのか?え?やさしくなってんじゃないか?」と肩をポンとたたかれて荒木さんは、そう言われた。どうなんだろうと思う。初めて荒木さんとあった瞬間の事を思い出す、荒木さんのパーティにたまたま出席させてもらったのだが、評論家の飯沢耕太郎さんが、当時20才になったばかりの自分を荒木さんに紹介してくれて、「荒木さん、こいつがこの前、荒木さんが賞をあげた大橋だよ」と押し出してくれた、「おう!知ってたよ、さっきからそこに居ただろ?知ってたよおまえが、大橋だって」「おまえは、つめたいからいいよ!おまえはつめたいからいける!」といきなり言ってくれたのだった。あの時の自分は自分がつめたいなど思った事もなかったのだが、30才を越した頃から「んん、やっと荒木さんが言っていた事がわかって来たような気がする」と、やっと己のつめたさを実感するようになっていたのだ。やはり、荒木さんだなぁと、思うのだ。いま35才、自分は温和になったのだろうか、んん、これまたわからない。少なくとも、荒木さんは2005年に出した2冊めの写真集の写真が、俺の写真に対する最後の記憶なんだろうと思う。しかし、あの、荒木さんの言葉、「おい、やさしくなんかなるんじゃねえぞ、」と、「ヌルくなるなよ、写真がヌルくなったら終わりだぞ」と、逆に俺を戒めてくれていたのだろうか。この、「やさしい、」という言葉と、「つめたい、」という言葉、これは普通の解釈では当てはまらない言葉、荒木語であり、写真語なのだ。また、自分の中で消化するのに時間がかかりそうだ。いや、ずっとこの言葉と生きて行くんだと思う。
2008.05.12 Monday
5/12
このまえ、バリの海で写真を撮った、小さな船を借りてその小舟の屋根に乗っかって、海を撮った、空は晴天で風がつよかった、鮮やかで深い青色の海、うねって太陽を反射する。海の印象は女だった。なぜそう思ったのかは分らないが、撮っているとき自分は男であった、うねって光る波は追っかけてもつかまらない女の後ろ髪のようだった。夢中でおいかけた。船の屋根の上は焦げるような熱さだった、肌は焦げた。現地のおっさん船頭と、半分以上通じない会話をしながらなんの目標物もなく、あっちへ行ったり、こっちへ行ったりただ海上をぶらついた。おっさんは釣りもしなければ、ダイビングもしないで船の屋根の上から、ただ海の写真ばかりを撮っている変な日本人をぼーっと見ていた。陸に上がっても車で浜辺を探した。何かを追っかけているようだった。具体的なものではもちろんない。自分の心の中にあるものが、この海のどこかにいきなり表れそうな気がして、それをつかまえたいとファインダーをずっと、覗き込んでいた。何をつかまえたかったのか、自分の心の中にあるものとは一体なんだったのか、欲望、だったんだと、思い出した。自分の中の欲望が、波や光になって自分の前に表れる、それを追っかけていたんだ。自分の心に浮かぶ風景、現実に目の前でうねる海、現実に見える風景のその先に浮かんで来る、もう一つの風景。東京でも、同じ事はおこる。体の射精と、心の会話、現実と、想像、自分にとって表裏一体とも思えるそれらは、それぞれ違う壁となって自分の中にそそり立っている。その壁と壁の間の溝の中を今の所唯一写真だけが、いったり来たりしている。その溝の中には得体の知れないモノが潜んでいて自分を暗い溝の底へと引きずり込もうとしているのかと思いきや、その溝の中には自分が座っていた。