2010.07.13 Tuesday
7/13
台湾に撮影で行って来た。台湾に行く前日に扁桃腺が腫れ始め、薬を飲みながらの撮影となったが、薬が強力だったおかげで台湾の強力な日差しにもなんとか負ける事は無かった。暑さは別として台湾の湿気にはノドが助けられたのかもしれない。今回ほど薬の力を感じた事は無かったかもしれない。抗生物質と消炎鎮痛剤様々。野菜ジュースをしぼって飲む習慣もそろそろ丸一年。去年は死にたくなかった。今もまだ死にたくはない。明日の朝までこの部屋にただ寝ているだけでは、自分は死なないだろう。よほどの何かが無ければ、じっとしているだけでは人間は突然ガラスが崩れ去る様に死んだりはしない。しかし、そのことが不思議だと思った。明日、崩れ去る様に死ぬ事は無いのかと。この世の不思議さと味わいはつきる事が無いようだ。台湾の街角でも不思議で不思議で不思議で、今ここも不思議で不思議で、ただただこの世を味わっていたい。死んだ人間の書いた文章を読み、死んだ人間のつくった音楽を聴き、今生きてそれらに教えられ、対話している。この浮き世の空気と一緒に口の中にいれて味わっている。生きる事を、味わう事を自分は止める事はできないだろう。
2010.06.18 Friday
6/17
一昨日、大阪撮影から帰ってきて、結局大阪でうまいもの食わなかったなと思う。難波と梅田に行ったが大阪の町の独特なアクの様なものが以前より薄まっている気がしてちょっとさみしかった。下町は違うだろうが、結局都市はどこも同じようになってしまってうんだろう。シャワーを浴びながら生きている意味のある人間などこの世に何人いるのだろうとか、ふと考える。ピカソ?モーツアルト?深くではない。ふと、である。昨日の夜中に珍しく兄貴から電話があり、深夜の緊急連絡かと思い、死んだのはどっちの親だ?と、ちょっとドキッとする。しかし、なんて事なく電話をしてきただけだった。話せば話すほど、兄弟でこんなにも違うものかと感じる一方で、逃れられない血のつながりを感じる。今日、水木しげるさんを撮影させて頂いた。自分は今草木のような状態で、心はいたって穏やかな状態だといっていた。水木さんを撮影中、植田正治さんの事を思い出した。偶然にもお二人とも鳥取の出身で、そして、思い返せば仕事で85才以上の日本人を撮ったのは多分植田さんと水木さんのお二人だけだと思う。お二人はどこか雰囲気が似ている様な気がした。水木さんは120才まで生きると言っていた。その言葉が自分には嬉しく思えた。ご自分の事をサラリーマンみたいなもんですよと言っていたのも印象深かった。
シャワーを浴びつつ、物理学者のホーキング博士の言葉を思い出す。地球以外に知的生命体が存在すると思いますか?という記者からの質問に、「地球にすらまだ知的生命体が存在しているとは思わない」と答えていた事を思い出す。一枚ものの皮に包まれた液体が、人間の姿。その様にも思う。
2010.05.22 Saturday
5/22
昨日は朝五時から夕方五時45分まで、熱海で撮影をした。週末ですら人気のまばらな熱海は今が行き時の様なきがした。空もよく晴れてくれて良かった。ずっと三冊目の写真集の為のプリント作業をしている。まだ荒くセレクトした段階の写真を荒くプリントしているのだが、そのプリントも3000枚を軽く超える状況でまだ終りそうにない。この後に本番のプリント作業をする事になるが、この下準備的な作業だけでも中々終らず一つのイメージを形にする為にどれだけ時間がかかるんだろうと、うんざりするが、プリントを眺めると、色々なイメージや、興奮が自分に現れる。しかし、本格的な詰めの作業に入るまでは、一々テンションを上げない様にする。これも、楽しいと言えば楽しいのだが、とっとと3冊めを出したい。早く出したくて仕方がない。そして、その後もポンポン作品集を出したい。がしかし、今回もそう簡単には行かなさそうだ。絶版なったといわれている、コダックの印画紙をヨドバシで14箱見つけて、全て買う。印画紙すら簡単に手に入らなくなり、無くなって行く状況、あー早く出したい。
2010.04.13 Tuesday
4/13
月末になってカレンダーを見ていると思う事がある、31日の次の日が1日、一ヶ月間毎日その月のカレンダーを見る、あーだこうだと考える、31日が過ぎて1日になれば、もう永久にその月のカレンダーを現在の進行表として利用する事は無い。記録として残す事はあるにしろ。過ぎた月のカレンダーはほぼ用無しだ。体や記憶の中に時間の流れは続いているのに、時間というもの自体は、完全に終り、進み続ける、どんどんと端から過去のものとなって行く。時計では流れが速過ぎて中々実感出来ないのだが、カレンダーは一ヶ月というまとまった時間の経過を一ヶ月間を通して毎日見るから、目で実感してしまう。31日から1日へカレンダーをめくるとき、この決定的で決して解く事の出来ない過ぎて行く、時間という謎の不思議さ、を思う。無個性な一枚のカードがただ裏返っただけのようにどうということの無い事なのだが、そのカードの内容は、裏返るたびに、すべてがまったく変わってしまって、ただ裏返り続け、変化し続ける。昨日ひさしが死んだと友達から連絡が入る。もう20年くらい会っていない、小学校から高校まで同級生で、中学、高校と同じバスケット部で、電車での方向が同じだったので中学生ぐらいまではしょっちゅう一緒に帰っていた、ひさし。高校生になってからはほとんど一緒に遊ぶ事もなくなった。3年程前高校卒業ぶりで自分のホームページに、「きみの作品を購入しました」とメッセージを送ってくれたひさし。自動車を運転する時、自転車に乗る時、外を歩いている時、背後から突然殴られて、ゴッ、という頭蓋骨の中でにぶく響く音と共に真っ暗になって地面に倒れる様な感覚を、日常的な瞬間、瞬間、に感じる。これはきっと、バイクの事故や、実際に人から殴られたり、ぶつかったり、そういう体験が脳に記憶されていて、危ないから気をつけろと、外に出歩いている毎瞬間に衝撃を受けた記憶を教訓として脳みそが勝手に再生して注意を促しているかのようだ。今だにしょっちゅう、いまでも、このゴッというにぶい音が頭の中でひびく。怯えている間もなく。突然やって来る衝撃。友人や知人の死を聞かされるといつもこの音は無意識に再生されるようだ。死はそのように突然やって来て、時はまた全てを端から過去にしていく。しかし、今はひさしの死が時間より明確に自分の精神に影響を与えている。ひさしの死について電話で友達と話した、そしてこの3年程で、同じく高校を卒業後は一度も会った事の無い友達なのだが同級生が他に2人も亡くなっていた事を知った。一度に3人の同級生の死を知る。彼らの死、自分の死。死はとっくに自分ごとなのだが、生を感じるのと同じくらい死を感じる。
「死をポケットに入れて」というタイトルでブコウスキーは短編小説を書いている。その中で、ブコウスキーは自分の事を「丘の上からゆっくりと転げ落ちる湯気のたった糞のようだ」と表現している一節がある。人を表現した言葉の中でも特に好きな言葉の一つだ。「死をポケットに入れて」それにしてもいいタイトルだなと思う。死を推奨するという意味とはまったく逆の意味で、死を正面に捉えながら、明るく、だだ直線で生きる、中々簡単に出来ることではないと思うけど、そういう考え方がとても面白く感じるから自分は好きだ。三冊目の写真集に向けて作品のプリント作業を日々やっているが、量が多くて中々終らない。頭のなかではとっくに出来上がっている写真集をプリントや構成することで1ページづつ組み立てて行くこの行程が、とてつもなく面倒で、また強い興奮を感じる。
2010.03.26 Friday
3/26
昨日千葉へロケハンにいっていたのだが、行きの車の中、アシスタントの運転で後部座席で完全に熟睡していると、一瞬重力が軽くなってそれから体が左右に大きく振られ両サイドの窓枠になすすべもなく4、5回おもいきりぶつかった。雨の中、高速道路を走っていた、驚いて飛び起きすぐに車を路肩に停車させて、何事かとアシスタントに聞く、「すみません、気を失っていました」「気を失ってたんじゃないだろう、ただ寝てただけだろう」というと「はい寝ていました」という。彼は運転中に完全に睡眠に落ちてしまい瞬間的に目を覚ましたが、車の方向が車線から外れてしまっていたのに気付き、急いで軌道修正しようとしたが、高速運転中に急ハンドルをきったために逆に車が言う事をきかなくなりハンドル操作ができなくなって、車の片輪が浮き上がり車体自体がバウンドして横転寸前の蛇行運転になったのだ。その時高速道路は空いていて後続車両や、横を走る車が無かった。自分の車だけではなく他の車をも巻き込む大事故になる所だった。高速道路だったので車が横転していれば死んでいただろう。こうやってある日突然人は死んでしまうものなんだろう。なぜか車の運転が異常にへたなアシスタントがつづき日常的に車の中で「あぶない!」「とまれ!」「左から車が来てる!」など叫び声を上げつづけている。へただからこそ日々運転しなければよけいにヘタで、危なくなる、アシスタントにはもちろんシートベルトを必ずさせているが、自分は今までも、なぜかシートベルトをするきになれない。今まで、18才の時に一人でスペインの山で遭難しかかって自分の判断ミスで死にかけた事があって、その時の事は今思い出してもゾッとするし、昨日の事もまさに同じ感じであった、しかし半面、人生に腑に落ちるようなきもするのだった。うんあれは、死んでたな。