CALENDAR
S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< March 2010 >>
ARCHIVES
CATEGORIES
    RECOMMEND
    RECOMMEND
    いま
    いま
    大橋 仁
    2/11
    仕事で屋久島に行って来た。千何百年も生き続けている生き物がいるという事だけで驚きである。あの島の森は他のどの島の森とも違う、特殊さがあった。環境さえ整えば、自然も人間も長く生きる事が出るんだろう。その環境も屋久杉自体も想像を超えすぎていて、手を合わせて拝むしかない感じでだった。登山をしながら撮影をして、いい空気を沢山吸った。たしかに気持ちがよかった。宿に戻り大浴場で湯船につかると一人の男性客が「こんにちわー」と挨拶してくれた、こちらも挨拶を返すと、しばらくたあいのない世間話になった、そしてその人が「そう言えばこの旅館は、あのう、作家の林芙美子が一ヶ月程滞在して、あのう、なんちゅうたかな、漢字二文字のやつ、、ほら、えーと、あ、浮雲!浮雲をここで書いたという事らしいですよ」と教えてくれた。林芙美子は、自分の母方のおじいさんが短い結婚生活お送っていたとも、同棲生活をしていたとも聞かされている人だった。林芙美子自身、文学的叙事詩という文章や放浪記でおじいさんの実名を出しているとい事だ。おじいさんは田辺若男という名前で新劇の俳優であり、詩人だった。松井須磨子、島村抱月らと芸術座を創設して演劇を始め、石川啄木らとプロレタリア文学詩集を出したり、NHKの朝の連続ラジオドラマにはかなりの初期に俳優として参加したりとかなり、活動的な人だったようだ。戦時中戦争に反対してしまい完全に仕事を干されてしまい母姉妹を含めかなり苦労をしたという事だった。たまに、ふとこんな時にあのおじいさんが生きていたらなんて言っただろうと考えたりすることもある。このおじいさんに、自分は会った事が無いのになぜか近しい何かを感じてしまうのだ。屋久島の旅館の風呂場で会った事のない自分の祖父の事を思い出した。

    | - | 00:00 | - | - |
    2/3
    マイケルジャクソンの「ディスイズイット」を見た。去年の公開時期から今年40才になるミュージシャンの友達からも、「大橋くんあれみたか?マイケルジャクソンのレットイットビー、あ間違えた、ディスイズイット、あれ凄いぞ」と言われてから、凄く見たかったのだが、マイケルのテンションはあくまで、リハーサルのレベルなので、きっと本番だったらもっとすんごいことになってたんだろうなと、想像しながら見るしかなくて、がっかりした。本当に1ステージだけでも本気のマイケルの姿を見たかったなと思ったのだが、実はツタヤなどで今も販売のみだと思うが並んでいる「ライブアットブカレスト」という92年のルーマニアでのマイケルジャクソンの現在の所唯一のライブDVDがあって、「ディスイズイット」にがっかりしたのも、すでにそれを見てしまっていたからなのである。「ライブアットブカレスト」のマイケルは凄まじかった。マイケルの本気具合、コンディション、その他全てが一丸となって隙がなく、32〜3才の脂がのりきったころのマイケルジャクソンがいきなりトップギアで仁王立ちして現れ、そのテンションは終るまでまったく落ちることはなかった。マイケルジャクソンといえば私生活の事や、ゴシップばかりが取り上げられていたが、そんなものまったく見たくはないのだ。見たいのは、本気のマイケルの姿であり、ステージの圧倒的なマイケルの姿なんだと思った。こんなにマイケルマイケルって自分が言う事自体よくわからないのだが、とにかく、「ライブアットブカレスト」は「ディスイズイット」よりよかった。仕事で沖縄に行ってきた。沖縄は気温が20度前後で、熱くもなく寒くもなく自分にとっては最高に気持ちのいい気候だった。沖縄のホテルで夜中、寝ていたのだがノドがすごく乾いて目が覚め、近くに水がないことに気付き、とても起き上がって水を自動販売機に買いに行く気にはなれず、目のまえにあるバナナを剥いて寝ながら口に入れた。暗闇でカラカラに乾いたノドにバナナの甘みと水分は意外と心地良かった。しかし、それでもノドの乾きは抑えられず、沖縄にしか売っていない玄米ドリンクを、一気のみした。玄米ドリンクは、冷えた甘酒の玄米バージョンという感じで、これも渇きを癒すような浸透力のある飲み物ではない。しかしそれで強引に寝た。4年ぶりくらいの沖縄は以前よりなぜか近く感じた。

    | - | 15:49 | - | - |
    1/16
    暮れから体調がおかしくなって、悪夢の年越になり、今週はやっと本調子にもどった。今週は佐内さんの個展会場でのトークイベントや、滅多に無い事だが、自発的にネイキッドロフトでのAV難民総決起集会を見に行ったり。夕方以降が何かと騒がしかった。昨日は、ロシアに住んでいる日本人の友人のロシア人の友人が来日しているので会って欲しいという事で、その日本人の友人の英語のうまい妹と、ロシア人の友人(名前はディーマ)と3人で食事に出かける。四谷でお好み焼きを食べた後、新宿で焼肉を食べ、東松原の妹の家へ、妹宅で酒盛りが始まり、妹のアメリカ人の亭主も帰宅し、ワインをがぶ飲みした。妹の亭主のデビッドはチャールズブコウスキーが好きで、その点非常に意見が合う。ワインングラスに数回赤ワインが満たされたあたりで、数年ぶりの自動運転に切り替わり、記憶が消える。目覚めると、デビッドと一緒にベッドに寝ていた。会話は完全に英語だったが、一言も喋れない自分と、ディマ、デビッド、妹は非常な盛り上がりを見せたようだ。もう誰も人間語は喋っていなかった。一人早起きしてしまって、そこいらで、布団をかぶって寝ている彼らは寝ながらにして、満足な夜を思い出した様に、やわらかく笑っているようだった。記憶は無いのに体に楽しさの余韻が残っていた。頭がガンガンしたので早朝にウコンの力8本を飲み、握り飯を2個食べた。こんな調子で人生も終るんだろう。今週はよく人に会った。人に会う事はとても楽しかった。もっと出かけて人と会いたくなった。自分は賑やかな所が好きで、コミュニケーションが好き、楽しい事が好きな、普通の男なんだと思う。ずっと、豊かな事を求めている。豊かさとは何だろうと思う。今週気になったのは、個性や人間性に時代性や流行があるかの様に、言う人や、そいった傾向を感じたのだが、個性や人間性は、流行の様に終ったり,突如とした新型の発生などは絶対にないと思う。歳をとって老いて行く事はあっても、個性に流行や時代性は無いと思う。強くて豊かな個性は死んでも変わらずにこの世に留まると思う。世代交代だとか、終って行く人なんて、誰一人いないと思う。とりあえず、誰しもが死ぬまでは続き続けるだけだと思う、、人が終ることはない、、誰かを、軽々しい単なる流行目線で終らせる事はあってはならないと思ったし、そう言う事こそが本当に貧しい事だと思った。

    | - | 00:00 | - | - |
    12/31
    今年一番印象に残った一言と言えば、フランシスベイコンのインタビュー集の中に出てきた、「結局人体はある種のフィルターなんです」という一言だった。もちろん、それで人間のすべてを言い当てているとは思わないが、よけいな事を究極に排除して行くと、人間の人体の命の形というか、人間の命の特性を見事に、一言で表現している言葉であり、フランシスベイコンという人は人間の本質をよけいな感情や理屈をあっけなく排除して何処までも精密で、精確に、見つめていたんだなと思った。見つめていただけではなく、ベイコンはすべての瞬間を深く味わっていたような気がする。瞬間瞬間を深く味わえるなら、瞬間瞬間に味わいを発見できるなら、人生はどれほど興味深くどれほど驚きに満ちているんだろう。人生を楽しむというのは本当はこういう人間の使う言葉なんだろうと思った。ちょっと前に読んだ、坂口安吾の「信長」の中で、信長が自分に謀反を企てている、家臣に対して言う一言がある。信長が城主を任せている家臣の城に突然一人で訪れる場面がある、城内はすでにその家臣の側に寝返っている、信長にとっては敵のど真中に一人で乗り込んだという状況である。信長一人の突然の訪問に、すでに謀反に心を決めて身構える敵家達は硬直している。信長はもはや敵となった家臣をぞろぞろと従え、そのまま城の天守閣まで登り、しばらく景色を眺めた後、そこに座りこみ、腹がへったと茶漬けを所望し、平然とつづけて三杯を平らげる。信長「おぬし今ここでならワシを殺せるが、何故殺さん」家臣「今は、まだ時期にはございません」信長「うむ、己もやっと正直にものが言えるようになったか、それは褒めてやる。では正直にものが言えるようになったところで、今度は正確にものをもうせ」という内容だった。(言葉のやり取りなどはうろ憶えなので、テキトウ)とにかく、この言葉が新鮮だった。まったく当たり前の事なのに。必要な瞬間に必要な事を、必要な分だけ、正直に、正確に、口にすればいい。我にかえって、反省した。まったく引き締められたような想いだった。「正直に、精確に」自分の作品で来年どこまでそれを出来るだろうか。

    | - | 21:16 | - | - |
    12/26
    クリスマスだったらしいが、今夜も一人家にいる。自分に子供や家族があったなら、多少は何かをしたのかもしれない。いや、生まれた家では元々そういったイベント事はほぼやった事がなかったので、兄も同じ状況であるから、子供のときから我々兄弟はクリスマスなど特に興味もなかった。正月に関してはお年玉をくれたが、共働きの両親であり、訳ありの親父でもあったので、誕生日などはみんなで、忘れているくらいだった。12月に入り、いつもの扁桃腺が腫れてヤレヤレと薬を飲み始めたが咽の痛みが尋常ではなく、扁桃腺炎歴20年以上の歴史の中でも最高と思われる程の痛さ。やっとそこから抜け出して10日も立たないうちに今度は、急性胃腸炎になり、ふたたび強い腹痛と下痢、悪寒と怠さや、微熱がびったりとくっついて離れない、それが治りもしない状態でボーットしている所に今度は左目が真っ赤に充血してゴロゴロし始めて、今度は眼科へ、眼科の、年老いた女医に、「うわ〜!!はやり目だぁ!!とりあえず院内感染したくないから早くウチの病院から出てってもらいたいの!」と席を立ち上がりながら、完全にバイキン扱いされ、鏡を見ると顔の左半分が死んでいて、右半分は生きているような顔をしている。しかも、その眼科の駐車場を出る時この5年間一度もやった事のない、車の引っ掻き傷をつくってしまう始末。今までかかった事もない病気に一時期に二度も襲撃され、この状況を楽しむ領域に入った。昔からこういう最悪な状況に落ちいると、自分に対してこの野郎と思いと、さあどうしてくれようかという比較的冷静な思いが現れ、結果かえって馬力が出るから不思議だ。今年の暮れの事はずっと忘れないだろう。すでに目以外は復調しているが、明日の仕事の為に今日は早寝だ。

    | - | 00:00 | - | - |
    | 1/20PAGES | >>