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メッセージ

2・17
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    3月7日火曜

     

    金沢大学にて、トーク&「そこにすわろうとおもう」スライドショー

    カンパニー松尾さんによる、撮影メイキング映像25分も上映します。

     

    北陸では初めての上映です。

    お近くで、怖いもの見たさの方は是非。

     

    18才以上の方しか入場できません。

    身分証明書も持参してください。

     

    金沢大学の松田真希子准教授とのご縁で、今回金沢大学主催での

    イベント開催となりました。

     

     

    自分が何かを人に教えたり、伝えられるとは全く思っていないけど、

    こういうバカも生きてんだなと、ぶらっとのぞきに来てみてください。

     

    それでは金沢で

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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      ベラの祈り、父帰る、の監督の映画を見た。

      2作とも実はとんでもなく深く愛していた。そして、それが精神やそれに伴う行動、態度の表現の仕方ですれ違い、うまく伝わっていなかった。気づいた時は相手は死んでいて、後悔しても既に遅い。そんな親子の、そんな夫婦のものがたりだった。ストレートに表現すれば作品の中でもっとぶつかり合い解決の糸口を探せたようなものの、この2作では最後まで、この両者の問題は解決させることなく進んでいき、実はそこには深い愛があったのだが、それは人と人との心のすれ違いや、簡単な勘違いの中で深刻化し、相手が死んだ時初めて気がつくものだという教訓めいたオチに、繋がっていく。確かに現実の人生でもそんな事が沢山ある、しかし、この作品では驚きのラストシーン、いい意味での観客への裏切り、という映画的な一つのトリックとして愛が使われているような気がして、うなずける気持ちと、驚きを与えようとしているという、監督の意図みたいなものを感じて冷める気持ちが両面現れた。俺が素直ではないんだろう。

      ロベルトベニーニのライフイズビューテイフルも、最後父親の息子への愛に観客が気づいて涙した。

      釜山で俺が実際に経験した話としても、ボロボロのチゲ屋で、編集者と二人おかゆを食べていたところ、どこから来たんだ、何してるんだという世間話から、チゲ屋のおやじが俺の歳を当ててみろといきなり言い始め、どう見ても50後半に見えるそのオヤジの実年齢を42歳、と俺が一発で当て、おやじが驚き、俺の歳を当てたのはあんたが初めてだよ!あんたはカメラマンやめて占い師になるべきだよ!と言い始め、チゲを食べ終わった後、オヤジは、次にどこに行くんだ?行くあてはあるのか?と聞き始め。俺の弟がやっているカラオケ店があるからそこに行ってもう一杯だけ飲んで帰れと半ば強引に繁華街にある謎のカラオケレストランの様な所に連れて行かれ、座らされおやじは店の若い従業員に何か一言声をかけて出て行ってしまった。看板の文字すら全く読めない異国。俺は新宿歌舞伎町で青春を過ごした。街で現れる初見の他人や客引きの親切に騙されて身ぐるみ剥がされた事もあった。席に座ってメニューを見ていると、全く注文していない、肉団子の山盛り、馬鹿でかい刺身の舟盛り、山盛り唐揚げ、その他2人では到底食べる事は出来ない量の何種類もの料理が一気に運ばれてきて、やられた。。それ見たことかという出来事に、笑いが込み上げ、大量の食物を前に編集者のG君と二人で記念撮影をしたものだ。

      食べ物には一切手をつけづ、酒だけ飲んで一悶着しに会計に行くと、2人で1500円ほどだった。つまり、チゲ屋の親父の完全な善意と心からのおもてなしだった事が判明し人を信じない我々の心の汚さに打ちひしがれたものだった。

      しかし、信じれば裏切られ、疑えば真心を返される。何がどうなるかわからない。

      どうしようもなくこの世は面白い。

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        赤々舎姫野より

         

        そこにすわろうとおもう、あと一冊だって。

         

        とラインでメールが来る。

         

        これをもちまして2013年1月発売の

        『そこにすわろうとおもう』A3サイズ、400ページ、6kg、23000円

        は3年6ヶ月で完売とさせて頂きます。

        と書いていたら、最後の1冊が売れたと、赤々舎から報告あり

        これで本当の完売です。

         

        この本は2013年のパリフォトでその年に出版された全世界の写真集のベスト10に選出されるも、

        多分、表面的な内容の捉われ方によって、日本写真界では黙殺された本でした。

         

        この本を安いと見るか、高いと見るか、価値観の分かれるところだが、一人で3冊買ってくれた人や

        プレゼント用にと2冊買ってくれた人もいた。

         

        発売前、90数名の人が内容を全く知らされていない状態で、予約購入をしてくれた事は忘れがたい。

         

        この本は、紛れもなく私そのものであり、すべての人間の本であると思っています。

         

        すべての価値観の中心に存在する命という、全く止まる事なく変化し続ける真実を、一人の自分という存在を通して

        見続け、感じ続けまた作品にしていきたいと思っています。

         

        どのような角度でもかまわなくて、この本を手に取り最後までご覧いただいたすべての人に感謝を申し上げたいです。

        ありがとうございました。

         

         

        『そこにすわろうとおもう』完売のご報告まで。

         

         

         

         

         

         

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          『そこにすわろうとおもう』コメント

          ハナレグミ 永積タカシ 


           
          ページを開くたびに 何か見えない予感が じわじわせまってきてさ

          裸でスタートラインが切られてからは

          言葉にならない

          ただただ めくるたびに笑っちゃった 。

          だはははっ だぁぁっ でぅはははははっ



          声あげて 爆笑がとまらんくなった

          でも どうやら 

          おかしい わらえるって ことだけじゃなくて 

          僕から出た声と 体の動きには

          こわい

          もまじっていた

          受け止めきれない

          逃げ出したい 

          目を背けたい 

          目が離せない




          いままで横で一緒に わらっていたのに 

          次の瞬間 急に首をしめられて

          殺されそうになって いる 

          必死で 生きようとする 


          全方向にはなたれる

          転げ回る

          やりきれない 怒り 

          どこにも ぞくしてない

          この 胸に あらわれた なにか 

          どこか僕が 僕のかくしたがってる ものだな

          ないことにしたい なにかだ



          助けてください 

          許してください と 

          手を合わせて 心が言った気がするんだ
















           
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          7/25
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            人や物事の本質的な部分に少しでも触れたい。写真でも生活でもずっとそう思って生きて来た。もし触れる事が出来たとする人や事の本質が、自分の意にそぐわない触れるべきものではなかったものだったとしても、その時はそれでいいし、触れるべきではないものなど無いだろう。己の意とは違う事同士の触れ合いが、人と人との極自然なコミュニケーションだから。しかし、誰の知恵や力も借りずに自分だけの発想と行動で直接その人の本質に触れようとする努力もせずに、表層的でテキトーな判断材料だけで物事を決めつけそれを頑なに信じ込むような悲しくも貧しい事だけはしたくない。自分は人を簡単に切ったり決めつけたり、他者に対する気持ちや何より自分の気持ちをあきらめたくない。いままで、たくさんぶつかり合って来た。人の本質に触れたいが為に火鉢にも手を入れた。でも、人は(勿論自分も)変わる。良くも悪くも必ず変わる。命に時間の限りがある以上、人は変化していく事から逃れられない。永遠に決定的な答えを見いだす事無くお互いが揺らめくように変化しながら人生を巡っていく。そこで自分は出来るだけ元気でいたい、豊でいたい、なに一つ諦めずにそこにいたい。(外的物質的な事ではなく)

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